政党とは、何か。

政党が乱立し、分裂したり、合流したり、はたまた内部でもクループや派閥があったりと、日々細かく追っていかないと日常の中で”なんとなく”の扱いにせざるを得ない政治政党。

はてさて、政党とはいったい何であろうか。政党のあるべき姿だけでなく、同時に現実的な側面も見ていかなければ、片手落ちになるとの意見も、もちろん出てくるとは思う。
来年は統一地方選挙、参議院選挙が控えるこの時期に、今一度「政治とは何か」、「民主主義ってそもそもなんだ」、「政党って、そもそもなんだ」といった事を考えるキッカケにもなってほしい。
ドイツの政治学者であるS・ノイマンは「政党は現代政治の生命線である」と述べている。古典的な政党とは何かを紐解けば、E・バーグの「政党とは、ある特定の主義または原則において一致している人々が、その主義または原則に基づいて、国民的利益を増進せんがために、協力すべく結合した団体」であるとなる。これは家族等の一次集合ではなく、あくまで二次集合であることも特徴的である。
組織されない世論は、あくまで無数の浮動する意見でしかなく、政策実現のためには組織が必要である。理想主義なE・バーグではあるが、今回の選挙に出ている政党をみて、これらの定義に合致す政党があるだろうかとの視点も、スクリーニングに役立てられるであろう。政党の現実的側面では、C・J・フリートリヒの定義も紹介したい。彼は「政党とは、その指導者のために国家の支配を獲得し、または保持することを目的とし、その成員に対しては、このような支配を通して精神的、物理的優遇や利益を確保することを目的とした強固に組織された集団である」と述べる。
ふたたびS・ノイマンに戻るが、理想と現実にある本質的の定義として、彼は「政党とは社会の積極的な政治的行為者たち。すなわち、政治的権力の統制に興味を持ち、さらに種々異なる見解をいだく他の単数または複数の集団と、大衆的支持を目指して競争する人々の明確な組織体である。また、同時に、もろもろの社会的勢力およびイデオロギーを公式の政府諸制度に結び付け、またそれらをより大きな政治的共同体内において、政治行動に結びつける大きな媒介者である」とする。
目的、構成、機能が明確にされている定義であるが、この部分で日本の政党をみるとどうか。政党の本質主義から紐解くと、今回の比例選挙区での政党選びで見る部分のひとつとして①人びとの”一時的つながり”ではなく、持続的なつながりの集団であること。②国家機能と有権者、ひろく国民との媒介となるべき機能を併せ持った架け橋であること。この2点は大きいのではないかと思う。
現代的に政党を考えると、政党は”漠然とした”、”あいまいな”キャッチフレーズに陥りやすい世論を国民的な政治意欲として吸収し、分析し、それら中より直面している根本的な課題を抽出し、かつ明確化し論点としていなければならない。政党が明確化した論点は、マニュフェストなり(公約としての表現で今でも生き残っている)、党の綱領なりを国民に広く示し、その支持を求めていくことが本道である。それがなきまま、曖昧な世論を曖昧なままキャッチフレーズとすることは、政党政治としての怠慢とも言える。論点が明確でない、もしくは対決することができない次元での政策論争は成立しえず。これらで争おうとする選挙は政党人として、政党の機能かつ政党政治を軽視している部分でもあり、投票行動の際のスクリーニングになるであろう。
そして、選挙は、ひとりひとりが、普段は意識しない国家と国民(有権者または住民、またはCitizen、または市民)を知るから考えるへ昇華し、さらに考察、思索へと導く大きなツールが国政選挙とも言え、これをどう生かすかとの時間でもある。

政党と有権者、そして改めて政党とは何かを問い、来年を迎えたい。